私の勘違い
そもそも、他人の子供なんだから、いくら息子の妻ですと言われたところで、そんなに簡単にうまく行くわけがなく、ましてや私の場合、処世術に欠けるところがあるので、関係を築くのは難しいと思っていた。
義理の両親に親切にされても、申し訳なくなるばかりで、ギブアンドテイクに欠ける自分を恨めしがったりもした。
だが、そんなことは気にする必要が無かったのだ。
彼らは彼らの考えに基づきながらも、付かず離れずな距離感で、温かい気持ちで後押ししてくれているだけ、ということに最近気がついた。彼らは、鼻からギブアンドテイク、など望んでいなかったのだ。
女性らしいソツの無さに欠ける私には本当にありがたい。
息子の妻、だけでなく、新しくできた娘のように大切に思ってくれる義理の両親に感謝の気持ちでいっぱいだ。
私には何ができるのしら。
放任主義だった親からは学べなかったものを彼らから学ぼうと思う。
思い出したこと
その子はとてもピアノが上手だったが、いつも表情が曇っていた。
同い年に顔立ちの華やかな女の子がいて、とても天真爛漫な子だったが、
その子の出す音よりもとても明るく、軽やかで響きの良い音を出すものだった。
練習もまじめにしていたのだろう、指の動きもスムーズだった。
あんなに素敵な音を響かせるのに、なぜいつも自信がなさげなのだろう。
同じ教室に通う私はそう思っていた。
ある日、私は私のレッスンの順番を待っていた。いつものとおり彼女はレッスンを終え、家族が迎えに来るのを待っていた。
彼女の母親がやってきた。
母親はまじめを具体化したような顔で、顔は彼女にそっくりだった。彼女と違うところと言えば、笑うことも少なく、表情はいつも堅かった。
「娘は本当に下手で、なかなかうまくならなくて…全然そんなことないんです...
いつも言っているんですが...」
母親が何か言う度に、彼女がうつむいていく。
私はそれを何度か見かけた。先生の前でも、私のような少し知った同じレッスン生の前でもそれは繰り返された。
あんなにきれいな音を出すのに。彼女は努力しているのに。
見たものや聴いたものを思ったように解釈し、たとえ違う考え方があったとしても当てはめる。
それが本当に受け入れ難いことと認識したのは、その時が初めてだったかもしれない。
彼女は今、思ったように生きているだろうか。
自分の感覚を信じ、前へ進めているだろうか。
否定されるようなことではなかったこと、少なくともそう思っていた人が
周りにいたということに気付いていただろうか。
もうきっとあのときの彼女に会うことはないけれど、たまに同じように繰り返される
記憶なので、私の気持ちがただ浄化されるよう、ここに書いておく。